★好きな本の話★
- 名市大生協学生委員会
- 7月16日
- 読了時間: 2分
初めまして、17期コハダです。さて、夏真っ盛り?の今日この頃ですが、私の好きな季節は、冬です。
理由は寒いと孤独を感じて感傷に浸れるからです。寒さに震えながら1人歩く自分、その横を暖かい服装で手を繋ぎながら歩く家族連れやカップル、彼らの笑い声。
これが持てるものと、持たざる者の美しい対比…はは、あゝ孤独。it'a true wolrd. 狂ってる?それ、誉め言葉ね。と初カキコ劣化版みたいな厨二病セリフを呟きひたすら公園を徘徊します!キモいですがお金のかからない趣味としてはおすすめですよ。
さて、現代社会では「孤独」を忌避する傾向が強いです。常に誰かと繋がっていたい。社会の中で孤立するのは不安だ、と言いがちです。今日は、私が16歳、高校1年生の時に初めて出会った福永武彦の『草の花』という小説を紹介します。以下は主人公が、大学の先輩に相談をする場面です。
先輩
「たとえ傷ついても、常に相手よりつよく愛する立場に立つべきなのだ。人から愛されるということは、生ぬるい日向水に浸っているようなもので、そこには何の孤独もないのだ。つよく人を愛することは自分の孤独を賭けることだ。たとえ傷つくおそれがあっても、それが本当の生き方じゃないだろうか。」
(中略)
主人公
「どうして愛することで相手を傷つけたりするんでしょうね?」
先輩
「君の孤独が真につよいものになれば、君は自分をも他人をも傷つけなくなるのだ。
自分が傷つくような愛しかたはまだ若いのだ。」
福永は昭和初期に活躍した作家です。彼は、「愛」と「孤独」は表裏一体であるという思想を強く持っていたようです。これは彼のエッセイ的随筆『愛の試み』を読むと、より分かりやすいです。個人的に彼の思想は大好物です。
「真に強靭な孤独」を手に入れて、初めて本当の意味で自分も他人も大切にすることができる。それが大人の生き方ということでしょうが、孤独を追いつつ他者との完全な理解を求めることなどどこまでいっても不可能なのでしょうか。
さて、悩んだ末に主人公は果たしてどんな人生を送ったのか?
例えるなら、ショパンのワルツ9番のようなシンプルで繊細で美しい小説です!『草の花』、次の読書にいかがですか?
この本に出会って、強靭な孤独を獲得することは、自分と他者を大切にして生きる基盤として、必要なことなのかもしれないと考え始めました。世の中の人間の大半はこの思想を知らず、表面的に孤独でないことが全ての評価尺度となりがちです。何歳になっても福永の思想は頭の片隅で忘れずに生きてみたいと思っています。以上コハダでした!ありがとうございました。
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