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執筆者の写真名市大生協学生委員会

不安定すぎるシーソーを生きる

 みなさんこんばんは。久々の執筆となりかなり緊張しております、16期広報班のかりうむです。

 夏休みくらいから再開したこのブログも気が付いたら10回を超えているそうで、そのうち3回を自分が書いているというのはなんだか不思議な気がします。


 人によって抱く感想は大きく異なるでしょうが、2か月近く続いた夏休みが終わり、後期が始まってから大体2週間くらいかと思います。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?

 私かりうむは、未だに夏休みや後期の履修で手にした全休などによる生活リズムや心身の乱れをまだ矯正できないでいます。特に、睡眠時間が大きく変わってしまったな、ということを最近感じます。もともとそこそこの遠方からの通学をしていたこともあり、朝5時には必ず起きていた高校時代、そして大学が近くなっても6時半には目を覚まして準備をする、という生活をしていたはずなのですが。このブログが公開されるであろう水曜日を含め、1限が週に1回しかない今の自分は、間違いなくだらけてしまっていると感じます。

 かといって、寝る時間が遅いのかと言われれば、そうでもないと自負しています。たぶん23時半から0時くらいには布団にはいるので。結局のところ、寝始めが変わっていないのに寝ている時間が長くなったということなのではないか、と。


 タイトルにも書いた通り、私含む人間の生活を成り立たせているシーソーは、とんでもなく不安定なような気がしてきています。別に勉強や部活に力を入れ始めて疲れがたまったとか、バイトのシフトを入れすぎて死にかけたとか、そんなことがなかったとしても、案外ちょっとしたことで大きく調子を崩してしまうような気がするのです。

 この関連でいえば、私自身は先月中旬にあった名市大GIの合宿、そしてつい先日行われたみぎなつのどちらにも参加してきました。合宿ではとても人に言えないような生活をしたのであまり触れませんが、こういった形で人とどこかに宿泊しにいって、食事や生活リズムなどが定められたところで過ごしてみると、普段の自分自身の生活が少しずつずれ続けていたことを自覚出来ます。


 もちろん「安定」なんていうのはとても一概に言えるようなものではないし、個人について言おうと思ってもその時々によって何を安定というのか、何をすれば安定するのかなどは変わってしまいます。でも、そんな中にあっても自分が不安定になっているのではないか?という疑問を持って生活してみると意外と面白いかもしれません。

 人が誰しも乗っているであろうグラグラ揺れるシーソーが表すのが、体調やメンタルといった内面的なものなのか、それとも勉強やバイト、恋愛や部活・サークルといった外的な活動なのかは分かりません。しかし、それが何であっても、状態を把握できないでいては何にもなりません。もちろん、そうやって不安定な状態でふわふわと居続けるのも案外楽しいという物好きもいるかもしれませんが。私みたいな。


 「火事場の馬鹿力」なんてことわざがあるくらいには、人間が追い込まれたときに発揮できる能力はとんでもないと思います。そして、そこまで大げさには行かなかったとしても、追い込まれた状況で何となく普段の自分を超えたような力を発揮した、といった経験をしたことがある方も少なくはないと思います。ただ、常時非常時(?)でいては早めに壊れてしまいます。火事場の馬鹿力なんて言いますが、避難する前に燃え尽きてしまうかもしれません。


 長々と書いてしまいましたが、結局今日言いたかったことは、自分の中にある不安定さには向き合っていかなければならないな、というだけです。安定でいることは望ましいことかもしれませんが、そもそも不安定な状態が当たり前、という考え方を持ってみれば、ほんの少しだけ楽に過ごせるような気がします。気がするだけだったら、申し訳ありませんが。


 以上、かりうむでした。だんだんと長くなっていく私の文章にここまでお付き合いいただきありがとうございます。そういえば、名市大のGIに一人以上所属する学部の数がどんどん増えてきたらしいですね。素直にうれしいです。


 では、またどこかで。



 

GI公式Instagram→https://instagram.com/_ncugi

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