日常で見つける尊いを守りたい
こんばんは、15期広報班のしゃもです。
もうそろそろお馴染みでしょうか。皆さまにとって僕がお馴染みだとすると、僕にとってはGIブログがお馴染みになってきているんですよね。
今回は日常で見つける小さな尊いっ!と、それを守っていきたいなって話をしていこうと思います。
僕がその尊いを見かけるのは朝です。滝子キャンパスまで地下鉄で来られている方はイメージしづらいかもしれないのですが、滝子のバス停から滝子キャンパスに向かう道のりには2つの信号機があり、そのうち1つは片側2車線の県道29号線を跨ぐためかなり待ち時間が長くなっています。朝、1限に向かう時間は滝子のバス停で降りた大量の名市大生がその交差点に向かい、かなりの人数が信号待ちをします。尊いのはこの場面です。
なんと、かなりの確率で歩道の端っこ車道側に1列ないし2列で並ぶんですよ。たまに僅かな時間も惜しそうな人が我先にと交差点に近づいて、通過する歩行者や自転車乗りの方を邪魔していることも無くはないのですが、その光景がやけに目立つ程度には、端に並んで通路を十分に空けておくというルールが自然と名市大生の間に共有されているんですよね。
本当に小さな小さなことです。きっと全員が全員列を成さなくとも何人か前の方に行ったって特に大きな迷惑には繋がらないんです。でも、そこで「自分ひとりくらいいいか」とはならずに列を成すということ、そして何より、誰かに言われずにそれをやっているというのが尊いんですよね。大学側からとか注意喚起がされていれば、そりゃ守って当然だよねってなるだけなので。
もちろん日本人っぽい出る杭になりたくないという考えに基づくものもあると思いますが、それでも利己心が利他心とリンクしているのであれば、そういう控えめな考えも素敵なものじゃんと思います。
他にも1号館や2号館の入口ではしばしば自動ドアで譲り合いをしている人を見かけますし、少し範囲を広げると駅で降りる人のために乗る人がドアの前を空けておく風潮っていうのも尊いですよね。
なんだかんだと暗いニュースが多いこの世の中ではありますが、ニュースにもならないとても身近なところに小さな尊いは溢れているよ、というお話でした。
どうせ人間として社会生活を営まなければならないなら、そういう小さな尊いを見つける日々、そして自分も仲間入りすることでその尊いを守っていく日々も悪くないかも?
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